『赤色人形館』のレコーディング費用、そして
『赤色人形館』のレコーディング費用を10代の小娘がよく捻出できたなと思う。
またまた生々しい話で申し訳ない。
10代だった小娘は、ヒステリックグラマーやドゥファミリー、ピンクハウスやコムデギャルソンなど憧れの洋服を横目に、大量の安全ピンを駆使し着古したTシャツをスカートにリメイクしたり、兎に角ロンドンバッチをたくさんつけて、チープだけれど自分なりのファッションを楽しみながらレコーディング費用を貯めた。
当時、私は中野の音楽スタジオでアルバイトをしていたため、その恩恵によりレコーディングもライブのリハーサルも格安でできた。まずこれがなかったら『赤色人形館』のレコーディングをするのは難しかったはず。
参加メンバーへのお礼は、申し訳ないくらいのわずかなギャラしか準備できなかった。交通費とビールとお弁当代で消えてしまいそうな金額。
そんなギャラでも参加してくれたミュージシャンの皆さんには感謝してもしきれない。特に有頂天のタボさん、鍵盤とアレンジをしてくれたエディこと三柴江戸蔵さん、プロデューサーの中村ていゆうさん、エンジニアの椎木さんは、多くの貴重なお時間を割いてくださり、音を作り上げてくれました。
スタジオ代、ギャラを含めてかかった費用は小娘にはかなり厳しいもの。いまでこそ、これで完成できたの? という額だが10代の小娘にとってはとんでもない金額だった。
当時、曲を作るときはメロディーに乗っかる音を想像しながら作っていた。この曲に石渡明廣さんのギターが乗っかるときっとこうなる。この曲はスターリンの杉山シンタロウさん、また別の曲は湯川トーベンさんのベースが乗ったらたぶんこうかな、などと想像しながら作っていた。
普通の曲の作り方ではなかったと思う。
音楽の勉強などしたこともない小娘は、ただ音楽が好きなだけで突き進んだ。自分の思った通りの音を生み出したいという気持を胸に、憧れのミュージシャンが演奏してくれたらきっとこうなるよね、と空想しながら作る手法しか知らなかったのだ。
それで形になどなる訳はなく、アレンジャーとして参加してくれた方々が『曲』を『楽曲』にしてくれた。
ふと、ここまで書きながら気がついたのだけれど、レコーディング費用を出しているのは私なんだから原盤権は最初から私にあったのではなかろうか? んんん? やっぱり違うか⁇ 手元にはキャプテンレコードから『赤色人形館』『パンドラの呪文』に関する原盤譲渡契約書が存在する。だからやっぱりキャプテンが持っていたのだろう。もういろいろ記憶もあやふやだ。
ジャスラック含め、契約書周りのことはお任せ、というより私にはできなかったので、今となってはよく分からないが、みなさんが精一杯のことをしてくれたのは間違いありません。
懐かしい『赤色人形館』のレコーディングにまつわる話はまた別の機会に。
写真は『赤色人形館』レコーディングの一コマ。人間椅子の土屋巌くんとスターリンの杉山シンタロウさんと。
最近、すごく久しぶりに巌くんとたくさん話をする機会がありました。なんだかすごくホッとする。巌くん、ありがとう。
ななきさとえ
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